「昔風の暗いイメージの病院」
人口対比の一般病床数が全国でずば抜けて多い高知県。その中でも特に病院が密集している高知市の中心部に医療法人岡村会・岡村病院はある。 県医師会長、日本医師会理事などを歴任した父・一雄が、同病院の前身となる19床の有床診療所「岡村外科」を開設したのは1946年のことだ。戦後間もない当時は、まだ高知市内に医療機関は数えるほどしかなかったという。 53年に病院化した後、消化器外科と伐採作業に起因する振動病の労災医療を主体とする病院として、80年には162床にまで規模を拡大する。しかし、その間に高知市内には数多くの民間病院が開設され、岡村病院の知名度は相対的に低下していった。それに伴い、入院・外来患者の大半を高齢者が占めるようになる。古い歴史を持つ外科系の病院ながら、いつの間にか長期療養の老人患者が数多く入院するようになっていた。 89年5月に岡村が同病院に来たころ、そうした老人患者が入院の約4割に達していた。しかも、それらの患者を世話するため、院内には約30人の付添婦がいた。それの対して看護職員は30人程度。そのうち10人は准看学校に通う学生で、正看護婦は2,3人しかいなかった。 一方、建物は老朽化が著しく進んでいた。昭和30年代に建築された旧館の病棟には冷暖房設備もなく、冬になると病室内にすきま風が吹き込んだ。トイレは男女共用で、患者からのクレームも多かった。院内の照明は暗く、ソファやベッドなども古びたものが置かれていた。 当時を知る副院長の谷吉彦氏は、「昔風の暗いイメージの病院で、とにかく建物が今の時代に全くそぐわないものだった」とそのころを思い起こして言う。 米国の留学経験を持ち、都内の大学病院に勤務してきた岡村が、いずれ自分が後を継ぐことになる病院を見て戸惑いを感じたのもうなずける話だ。